小学生時代は、男女混合で体育の授業をする。
時期によって体育館で行ったりグラウンドで行ったり色々なスポーツをさせられるが、グラウンドでサッカーをする時の、小学校2年生くらいの時のシチュエーションがまだ忘れられない。
サッカーをするには1つのクラスの中で2チーム作らなくてはいけない。
各チームにサッカーが上手な男子1人がリーダーとなり、そのリーダーは順番に自分のチームに誰を入れていくか決めていく。
当たり前だが、リーダーの子はなるべくサッカーが上手い子や自身と馬の合う子を選んでいく。
AチームリーダーのA君は、C君を選ぶ。
次にBチームのリーダーのB君は、D君を選ぶ。
A君はC君と相談して、E君を選ぶ。
B君はD君と相談してF君を選ぶ。
必然的に、やっぱりサッカーとなると活発な男の子が先に売れて、次は活発な女の子が売れる。
次第に残されるのはそのほかの女の子や、普段大人しい地味な男の子。
私はもちろん最後のほうに選ばれた。私を含めて3~4人くらい残っていただろうか。
ここまでくると、選択する側も残された私たちを見て「うーん」とか唸っていた気がする。「どれを選んでも同じ感」があるだろうなと、小学生の自分でも肌で感じていた。
一番最後には残らなかった!という安心感はあった。最後まで残された子を私は覚えていないが。
サッカーが始まって、私は俊敏な動きもできないし、ボールを取ることもできないのにチーム貢献をしようとして一生懸命走ったりもした。まあ、うまくいくわけもなく。私の足にボールが触れたのは多分1回くらいだったと思う。ドリブルなんてできっこなかった。
そのうち「あっ、邪魔しない方が良いかも」と思って隅っこの、草が生えているところでしゃがんでサッカーを遠くから見ていたりもした。どちらが勝ったかよくわからないまま、ゲームは終わった。
AくんやBくんに対してというよりかは、チーム編成の方法を決めた当時の担任の先生がは、両方のチームの力がなるべく平等になるような方法を考案したのだろう。
人は自分で選択したものには納得しやすいから。そして、選べることは幸せに近いと思う。
サッカーは苦手だから、この時は仕方がなかった。
"選ばれる側"じゃなくて"選ぶ側"になれるような自分の得意や好きを見つけていきたい。